[後編]キューバン・ドリーム|胡蝶の夢、そして現在これから

私たちは疲れてしまって、ゆっくり出来る場所に行きたかった。
そこで、観光化されていない農産地バヤモに訪れた。
客引きがぐんと減り、全体的に人が穏やか、物価も安い。
久しぶりに、すいすい道を歩ける。チーノって言われない。

馬車がバスと同じくらい活躍してる。
馬車がバスと同じくらい活躍してる。

配給所で卵を売ってもらえず困っていたら、
「プレゼントよ!」と言って、ひょいひょいと自分の卵をくれたオバさん。
顔馴染みになった定食屋のおっちゃんは、最終日に「餞別だ!」と奢ってくれた。
見返りなしで優しくしてくれる人に初めて会えた。

カンドゥンガの定食屋のおっちゃん。冗談好き。
カンドゥンガの定食屋のおっちゃん。冗談好き。

 

配給所。住民は台帳を持っていて、格安で卵や牛乳を買っていく。
配給所。住民は台帳を持っていて、格安で卵や牛乳を買っていく。

かと言って、バヤモにだって、騙してぼったくろうとする人はちゃんといた。

「キューバは好きか?」街中で話しかけてくる常套文句。
反射的にいつも「好きだ」と答えてしまい、(だって建前っていうものが…)
毎回、営業トークに巻き込まれる羽目に。
何回もそういうことが続き、いい加減イライラして来た後半。

とうとうある日、ぼったくってきた男性に、
「キューバには次いつ来るの?」と聞かれ、思わず、
「二度と来ない。絶対」と返した。
「キューバが好きじゃないの?」と困惑顔の男性。
「好きじゃない。あなたはキューバが好きなの?」
と噛みついた。
「当たり前じゃないか。俺はキューバ人だ」とドヤ顔。
「じゃあ、なんで好きなの?どこが好きなの?」
うっ、と答えに詰まる男性。
「…じゃーお前は日本のどこが好きなんだ!?」と逆に質問し返してきた。
「文化だよ!」と間伐入れずに返すと、しどろもどろになり、
「…俺だって、キューバが好きだ!人だって、自然だって、食べ物だって… 」
と、最後の方は消え入るようになり、言い終わるやいなや、
逃げるようにその場から立ち去ってしまった。

Casa de la Musica。客引きのお婆ちゃんにぐいぐい引っ張られて連れて行かれた。下手くそだった。

意地悪なことをしたな、と思うけど。でも。
外国人との経済的な差を恨む前に、東洋人を理由もなくバカにする前に、
こっちだって一人の同じ人間で、違う文化から来たんだって、
気づいて欲しかった。エゴでごめんね。

嫌な人ばっかり印象に残ってしまって、忘れてしまいそうになるけど、
ハバナにだって、サンティアゴ・デ・クーバにだって、
真面目に働いている人たちは、ちゃんと存在する。
そういう人は声をかけてこないし、ぼったくってこないし、誠実だ。
どうしても、「キューバはこんな国」とか、「キューバ人はこう」とか、
枠に入れてしまいそうになる。
けど、そうじゃない。そうしてはいけない。
自分の枠にないものを知ろうと、こうしてここまでやって来たのになぁ。

屋根のない廃屋に住み、石けんをねだる女の子もいた。
話しかけても、ただ黙って睨みつけてくる漁師の男の子もいた。
誠実に働き、差別なく接してくれる肉屋の青年もいた。
中国語のマネをして、からかってくる若者たちもいた。
彼らの胸中には、いったい何があったのかな。

キューバで体験したこと、考えたことを、どう消化したら良いのか分からなかった。
巡礼を歩きながら、ぼんやり考えていた。

人の好さそうなお兄ちゃんをナンパして、ドレッドにしてもらった。

 

動機はどうであれ、キューバはあの時代の先を行っていたと思う。

革命の時に蒔かれた種が、半世紀余り経ってどんな風に花開いたのか。
チェ・ゲバラの残した言葉。有機農業、東洋医学、物に依らない心の豊かさ、助け合う社会。
それが知りたかったし、楽しみにしていた。

じゃあ、キューバに行かず、永遠の憧れとして保存しとけば良かったのかな?

公園で休憩する素敵なお婆ちゃん。
公園で休憩する素敵なお婆ちゃん。

いまの時代、インターネットでいろんな情報が流れてくる。
「街自体がパーマカルチャーのポートランド」
「イタリアのコーヒーを“保留”する文化」
「アメリカのホピ族の暮らし」
「西アフリカ・ヨルバ族の藍染め」
「オランダにある老人ホームでは、学生が無料で入居できる」
「ハッピー・リトル・アイランド。ギリシャのイカリア島」
などなど。
私は、こういう記事を読むのが好き。

実際にその土地に行かなくても、現地の記者や専門家による情報が手に入る。
遠い異国の素敵な風習や社会システム。すごく手軽な時代だなーと思う。
キューバも、そんな情報の中の一つだった。

でも、
実際に訪れてみると、記事からすっぽり抜けている裏の部分に出会う。
良いことづくめなんてとこは、ほとんどないんじゃないかな。

がっかりなんてする必要はなくて、ちゃんと立ち止まって考えればいい。
なんでこんな文化が生まれたんだろう?その背景は?
どうしてこんなシステムで上手くいくんだろう?いかないんだろう?
産みの苦しみ、試行錯誤、文化的背景。
現地の人に共有してもらえたこと、それが大きな経験になる。

その点では、キューバはもの凄い破壊力を持って、
私の枠をぶち壊してくれた。

革命は、成し遂げた瞬間でもなく、その過程でもなく、その後が大事なんだろう。
その意志や理想を、次の世代に受け継いでいくこと、実現させていくことが必要。
いまのキューバを見て、それが実感できた。

現実的に、政策や社会システムにどう反映していくのか。
どうやってお金を回していくのか。
自分にはまだ、そのリアリティーが欠けていること。
政治とか経済って言葉が、自分の中で上滑りしていること。
会社で働いている時はお金に反発を覚えてたけど、
いまやっと、大事なことなんだと受け入れられる。
理想だけじゃお腹は膨れないね。

本当の豊かさ。
ここで思って感じたことを、早く日本に帰って、家族、友人たちと話したい。
会社でお世話になった方々に会いに行って、ちゃんとお礼が言いたい。logo sho-01

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