蒼天の国キルギス|明りを灯す人の風景
キルギスに降り立った途端、空気が冷たい。
あいにくの曇天と小雨。インドからの格好では寒い。
慌てて、上着を引っ張り出した。
空港から市内までのマルシュ(乗り合いバス)。
車窓からは、青々とした一面の牧草地と羊の群れ。
キルギスに来たんだなぁとワクワクしてくる。
空が高い。鳶が優雅に舞っている。
遠くに連なる山々は、雪を被っていて壮麗。
久しぶりに深呼吸。
季節は、爽やかな新緑。
晴れの日と雨の日が半々くらいの確率。
目に飛び込んでくる緑が鮮やかで、空気が澄んでいる。
太陽の傾き加減、光の差し具合、雨に濡れる並木道。
一瞬、一瞬の光景が、息をのむほどに美しい。
キルギスの中のキルギス
キルギスは意外と多民族国家。
ウズベク人、ウイグル人、ロシア人、韓国系、、
しかし、ナリンは人口の99%がキルギス人の土地だと言う。
近くの村では、遊牧民の伝統的暮らしが残っていると聞いて、
オン・アルチャ村で民泊。
ナリンのバザールからシェアタクシーで30分。
村は、思ったよりも乾いた寂しい印象。
北側に荒涼と赤茶けた山、南側に緑の丘陵に囲まれている。
眺めの良い丘の上には、墓標が密集していた。
小さいモスクのような、沖縄の破風墓を彷彿させる。
ひたすら村の中を歩き回る。
丘の頂上では、小学生くらいの女の子と50頭ほどの羊の群れ。
手をパンパン叩いて追い、羊たちを誘導していく。
お家のお手伝い、難易度高いです。
女の子に手を振ってさよならをして、もう少し進むと、
急な斜面なのに、颯爽と馬に乗って羊を追うおじさん。
キルギスでは、よく馬に乗って移動している人をみかける。
子どもも大人も、手綱や口笛で巧みに操っている、すごい。
日が落ちる時刻、遠くからメーメーの大合唱。
放牧から帰ってくるヒツジたちが、山を一斉に降りてくる。
各々の家人に迎えられて、それぞれの家へわらわら入っていく。
初めて見るのに、どこか懐かしい。
牧歌的な光景と、広がる大自然に、
また深呼吸。
幻のイシク・クル湖とOttyk村
シルクロード、天山山脈の麓、
“中央アジアの真珠”と呼ばれるイシク・クル湖。
ロシアのバイカル湖に次ぐ透明度で、吸い込まれそうな青い色。
ちょっと、沖縄の海を思い出す。
この湖は、さまざまな伝説と謎に包まれている。
まず、湖底に沈んだ古城や集落跡。
その湖の底の遺跡は、どこの民族なのか、なぜ沈んでしまったのか、
いまだに解明されていない。
周囲の山々から湖に、118もの川が流れ込んでいるが、流れ出る川は一つもないそうな…
どうして溢れないんだろう。
湖水に足を浸すと、痛くなるほど冷たい。
湖畔で遊んでいると、馬の群れが水を飲みにやって来た。
寄せては返す波に、仔馬がびっくりして後ずさり。
水を飲む、走る、じゃれる、すべての動作が時が止まったように美しい。
馬って…こんなに綺麗な生き物だっけ?
イシク・クル湖、最後の夜。
バスから見た村の風景に一目惚れをした村へ。
南岸湖畔のこじんまりした、Ottyk(オットゥク)村。
生い茂る果樹。緑溢れる畑。ロバ、馬、羊の群れ。
庭に干してある、瓦型の牛糞着火剤。
家の門の前の木の下で、座布団持参で井戸端のおばちゃんたち。
遊んでいた子どもたちに声をかけると、口をあけて固まってしまった。
ほとんど外国人なんて見たことないんだろう。
夕方の村を、子犬と散歩する。
ロバと戯れているうちに、山嶺の稜線が赤く染まっていく。
この時間帯、孫と散歩しているおじいちゃんおばあちゃんをよく見かける。
なぜだか分からないけど、胸が熱くなる。
ふと、後方から高らかな足音が聞こえてきたと思ったら、
裸馬の親子が二組、狭い村の小道を駆け抜けていく。
道の脇に避けて、その姿を目で追う。
まるで映画の一場面のように、スローモーションに映る。
その日は、村人の温かさに、風景の美しさに、
胸いっぱいになりながら眠りについた。
観光と暮らし
私たちはどこの国でも、伝統的な暮らしを知りたくて探す。
それは、住まいだったり、食だったり、ものづくりだったり、
色んな形をしているけれど。
キルギスでは、それが本当に難しかったように感じる。
ロシア統治により遊牧生活は奪われ、定住を強いられたキルギス。
古くから守ってきた生活様式は、一変したように見えた。
ロシア式の町並み。ユルタはサブ住居か観光客向けが多い。
ユルタで生活する人は、羊飼いくらいだし見つけるのも至難。
広大な畑を耕すトラクター。街を走るレクサスやベンツなどの高級車。
高い絨毯や家具にお金はかけるけど、水周りはお粗末なお家。
(遊牧生活の名残なのか、ロシアの衛生教育が無かったのか?)
結果的に、
私たちの想像していた『伝統的』な『暮らし』は、
見ることが出来なかった。
ロシアの政策なのか、グローバリゼーションの流れなのか。
遊牧生活が土台だったキルギス。失った文化は少なくないように感じる。
新しい現代の文化を『文化』として受け入れ難いと感じてしまうのは、
ただのエゴなのだろうか。戸惑う。
彼らの中で、登山やトレッキングが観光資源だという認識はあるが、
エコツーリズムはまだ始まったばかりという感じ。
民泊はキルギス文化を知ってもらうというよりも、お金を稼ぐ目的が強い。
あまり笑わないし、少し閉鎖的。
不器用な優しさと、酒くさいおじさんに癒される日々。
山々が見守るように囲み、大自然と家畜と共に生きる人々。
その昔、蒼天の下、天(テングル)に感謝し祈り生きた人々。
強い風が吹く草原に立つと、湖の側に座っていると、
昔も今も変わらず、そこに存在しているものを感じれる。
何か見たいものがあって、そこに行くと、
その見たいものには出会えずに、予想もしていなかった素敵なものに出会える。
旅にはありがちなこと。
キルギスの旅も、そんな感じ。
出会えたすべてのものに、感謝を。
もし、キルギスの自然と村の生活風景とグローバリゼーションに興味を持ったら、
映画「明りを灯す人」をぜひ観てみてください、オススメです♪