フェルガナ工藝探訪|民藝を探して
他国からの侵入が少なく、独自の文化を育み、
シルクロード時代は中国から各国への中継地となったフェルガナ盆地。
ウズベキスタンでどこが一番好きだったと聞かれたら、
「フェルガナ」と即答するはず。
サクランボや杏が鈴なる涼しげな中庭、荷物をとぼとぼ運ぶロバ、チャイハナと木陰の小上がり、無条件の好意と好奇心、笑い皺がそのまま素顔になったような幸せな表情の人々。
そんなフェルガナで出会った工藝について。
リシタン陶器
フェルガナ盆地のとある町、リシタン。
良質な陶土に恵まれ、一千年以上前に陶芸が起こり、中世シルクロードの時代に一世を風靡した。
リシタンの陶器の特徴は、リシタン・ブルーと称される爽やかな青色。
砂漠の潅木から作られる天然釉薬イシクール。
現在減少しつつも、そのレシピは先祖代々受け継がれ、今も守られている。
イシクールの粉に錫、コバルト酸化物、銅、鉄を加える。
これらの添加物とイシクールの灰の中の酸化カリウムを組み合わせることによって、ウルトラマリン、ターコイズ、白、黒、茶色に変化させているらしい。
詳しくレシピを聞こうとすると、「企業秘密だよ」とニッコリ笑われてしまった。
リシタンには小さな工房がいくつかあり、マスターのいる二つの工房を訪ねた。
一つは、Rustam Usmanov氏の工房。
もう一つは、Alisher Nazirov氏の工房。
工房の写真を撮りそびれた。
伝統の植物模様や幾何学模様が描かれ、高温で何度もしっかり焼きしめられた器。
古代の太陽や月、宇宙の象徴である円や螺旋、ザクロや唐草、鳥、、
もともと豊穣の女神への供物として作ら始めた器なので、魚や人の姿が描かれ始めたのは、ごく最近のこと。
「このお皿には何を盛ろう?」
「このお茶碗、お客さんの分をいれたら、いくつ要るかな?」
暮らしのどの場面で使おうか。想像が膨らむ。
結局、数時間かけて四つ選んだ。
高くもない安くもない、まっとうな価格。
丁寧な仕事で生み出された器。
芸術で終わらず、実用性に富んだ器。
暮らしの中に、そんな器を加えていく。
アトラス
ウズベキスタンの伝統的な絹織物、アトラス。
ウズベク語で絣布のことを「アブラ(雲)」または「アブルバンディ(雲の織物)」と言う。
水面に映った虹色の空と色鮮やかな雲を見た織工が、その美しさを布で表現したのが始まりとされている。
アトラスは経糸を染め分けて絣柄を織り出す、経総絣。
染料は、黄・赤・青を基調に、柘榴の樹皮、クルミの皮、西洋茜、ラック、藍(灰汁建て)など。
しかし最近は御多分に洩れず、化学染料が主流となり、天然染色でもコチニールやミモザなど染料の種類が増え、藍はハイドロサルファイトを使った化学建てに変わっていた。
その昔、アトラスは一種のステータス、富と権力の象徴。
階級によって着用していい服や所有枚数が決まっていた。
上流階級の人々は経緯オールシルクの「アトラス」やベルベットの絹絣で、伝統的なコートを仕立てた。そしてその下に、庶民が着る経糸がシルク・緯糸が木綿の「アドラス」を重ね着していたそうな…贅沢だ。。
だいたい五枚まで許され、超過すると没収されたそうですが、人々はことあるごとに新調したがったと言う。
現在も残る仕立て屋文化は、この情熱から続いているのかなぁ。
図案化された模様にも、一つ一つ意味がこめられている。
例えば、柘榴や花、太陽は豊穣や幸福。アーモンドは男性の叡智や長寿。蔓草は輪廻転生、太陽と火は静寂と力、波は豊かさ、などなど。
フェルガナ盆地にある町マルギランは、昔からアトラスの産地として栄えてきた。
ここでは現在もいくつかの工房が、伝統復興へ向けて生産に励んでいる。
その代表的な工房の一つ、ヨドゥゴルリク・シルク工場。
そして、もう一つは旧・神学校 Saeed Ahmad Hoja madrasahの中にある伝統工芸センター。
とても研究熱心で、天然染色を研究したり、新しいデザインを生み出したり。
また、アトラスだけでなく、天然染料による伝統ブロックプリントを続けている。
どちらかと言ったら、断然こちらの工房の方が働く人も布の質も良かった。
どちらの工房も、手織りには飛び杼の織機を使用。
ロシアが織機を持ち込む以前は、どんな織り方をしていたのだろうか。
総絣なのに、こんな簡単な仕掛けで模様のズレを直していくのは驚き。
アトラスはどう頑張っても、絹のほうが断然素敵。
糸の細さによって模様の細かさも違ってくる。
オール綿の経糸が1200本だとしたら、オールシルクは3600本にもなるという。
横幅忘れちゃったけど、約80cmだとしても、22~23算? かなり細かい。
それに、絹の光沢があればこそ、水面に浮かぶ雲や月を連想させる。
自然素材の布が好きだけど、絹だけは今まで敬遠してきた。
どうしても贅沢で罪深いような気がして。
でも、アトラスから感じる絹への憧憬。
絹から派生した文化が広がる土地、シルクロード。
それを見て、絹だから活きる布もあるんだと、初めて感じた。
蚕が八の字を描きながら絹糸を吐き、繭(シェルター)を作る。
その糸を使って、幸福や魔除けの願をこめた模様を織り込む。
身体の寸法に合わせて、コートを仕立てる。
生命を繋いだ、愛のこもった一着だと思った。
生涯のうち、一着か二着仕立て、大事に着古したい。
民藝と観光業
リシタンの中心から5kmほど離れたボストン。
道路の両側に、半露天の陶器屋さんがずらーっと建ち並ぶ。
手描きの茶碗が一つ2000~3000スム(約40~50円)。
手描きの大皿が一枚7000~8000スム(約130~150円)
裏っ返してみると、職人さんの銘があったりなかったり。
安い!かわいい!
頭がふわーっとなって何にも考えられなくなり、次から次へとお皿を手に取り、買い漁った。
夢中になりすぎて、写真を撮り忘れた 笑
有銘の工房と違って、焼しめが足りなく、欠けやすい。
けれど、だからといって、けっして手抜きのない絵付け。
同じ模様の器は一つとしてない。
ただ無心に、熟練した腕で描いたんだろう。
気取らず、庶民が普段使いのために買える値段。
多産ではあるけれど、機械的でなく、有機的な工程。
お金を儲けることが第一ではない、職人たちの仕事。
こういうものが、世界にいくつ残っているだろう。
伝統工芸と名のつくものが、機械的で単純な土産物に化けている。
UNESCOやJICAのプロジェクトは正直微妙。土産物化を助長しているだけ。
目的は、技術保存なのか、商品化なのか、ゴールが見えない。
アトラスはどうだろう?
高価で贅沢だし、民藝とは言えないかもしれない。
でも、今となっては庶民にとっても手の届かない値段ではないし、愛されている。
作り手、使い手の情熱によって支えられている手仕事だと思う。
かつてウズベキスタンがロシアに併合され、ソ連が成立。
その際、工房は廃止され大工場へと変わっていき、ウズベキスタン各地にあったアトラスの特色は薄れ、中央政府から指示されたもの以外の生産は禁止されてしまった。
しかしそんな中でも、熟練した織り手たちが細々こっそりと、命がけで技術を伝え守ってきたおかげで、途絶えなかったのだと。
その土地の人の情熱で続いてきたものに出会うと、心がときめく。
人々に長い年月愛され続け、今も必要とされるもの。
そして、それに応え代々作り続ける職人、研究を重ねる職人。
敬愛する芹沢銈介氏がかつて外国を回って民藝品を収集したように、
将来、自分もこれらの収集物に囲まれて暮らしたい。
あと数年で、フェルガナも変わってしまうのかな。
民藝は、時代の変化とともに消え去るものなのかな。
願わくば、観光化の波が優しく響きますように。