繋がるストーリー|メキシコ歴史クロニクル

あったかいメキシコ。

この一ヶ月、知り合ったメキシコの人たちと、
食べたことないものを食べに連れてってもらって、
一緒にビールとメスカル飲んで、
大音量のバーで踊って。

全身で“ウェルカム”を伝えてくれるあったかい土地。

メキシコシティ、サンミゲル・デ・アジェンデ、グアダラハラ、モレリア、パツクアロ。
たくさんの人にホストしてもらい、友だちの友だちを紹介してもらい、
色んな暮らし、それぞれのストーリーを聞かせてもらった。

メキシコは西の都、グアダラハラ。
「僕らはメキシコじゃなくて、メシコって呼ぶんだ」
トラカエルはそう言った。
彼は私たちと同い年の88年生まれ、アステカ帝国の切れ者宰相と同じ名前なんだ、
と自己紹介してくれた。

偶然、父の日にお世話になった私たちは、
家族での祝いの席に招いてもらった。
その日は朝から、彼の父、母、妹、そして婚約者と連れ立って、湖畔の街チャパラへ。
彼の父ホセは、農業科学の専門家であり、ジャーナリストであり、トウモロコシ博士でもあり、人類学、建築、歴史、様々な分野に造詣が深い。

トラカエルのファミリーと。1日の間に色々なことを教えてもらった。
トラカエルのファミリーと。1日の間に色々なことを教えてもらった。

「“メシコ”の由来を知ってる?」
知らない、と首を振る。トラカエルと父ホセが、慣れない英語を駆使し、説明してくれる。

遥か昔、北の砂漠地方に住んでいたマヤ文明を受け継ぐアステカの人々は、食糧難に見舞われた。
そんな時、ハチドリに姿を変えた神から『移住せよ』というお告げを受けた。
『ウチワサボテンの上で一羽の鷲が蛇を食べていたら、それが約束の地という印だ』と。
彼らは約束の地を求め南へ南へと下り、一世紀に及び移住を繰り返した。
(そしてそれぞれの土地に名前をつけていった。たとえば、チャプルテペックは“丘の上にバッタがいる場所”という意味。これらは今も地名として残っている)

現在の首都メキシコシティにあたる場所は、湖だった。
アステカ人が到着した時、あたり一帯の肥沃な土地にはすでに、他の民族が王国を築いてた。
アステカ人は好戦的だったため、蛮族とみなされ、いざこざを起こし追放される。
追い出された彼らは、湖の上の浮島へ逃げ込み、そこでサボテンの上で蛇を食べる鷲を見た。
条件のよい土地とは言えなかったけれど、彼らは湖の上にテノチティトランの都を築いた。
そしてアステカの言葉、古代ナワトル語で “選ばれし者=メシコ” と名乗りはじめた。

ネットから拝借。Diego Rivera氏のThe Great City of Tenochtitlan
ネットから拝借。Diego Rivera氏のThe Great City of Tenochtitlan

「これがメシコの由来だよ」

アステカ文明は、アステカという独特の文明が生まれたのではなく、マヤ文明を含め、各地の民族文化などを集約し、国として統一されたもの。
アステカの都テノチティトラン。
複数の浮島に建設された都市間の物流/交通はカヌーや橋で結ばれ、湖水の循環により街は非常に清潔に保たれた。
年輩者を何より敬い、規律に厳しく、義務教育も100%の普及率を誇った。
水上の都テノチティトランは数世紀に渡って繁栄し、やがてコルテスによるスペイン侵略によって終焉を迎えた。
訪れたスペイン兵や学者は、当時栄華を誇ったヴェニスやコンスタンティノープル(イスタンブール)よりも『美しく進んだ都だ』と驚き賞賛したそうな。

メキシコの人がみんなかどうかはわからないけど、
多くの人がオルメカ、マヤ、アステカなどの古い歴史を持っていることを誇りに思っていると感じる。
「メキシコと日本は似てるよね。歴史と文化がある。アメリカにはない」
トラカエルや、メキシコで出会った友人たちに、何度か言われることがあった。
そんな風に考えたこともなかった。
祖先は同じモンゴロイド、何か同じものを共有しているはず。

食事の後、父ホセにドラムイベントへ誘われ、グアダラハラ広場へ。

200人以上の色んなジャンルの人たちが集まっていた。

広場では香木やセージががんがん焚きしめられ、周りは煙の良い香りに満ち。白をベースとした民族服に、刺繍や色とりどりの花を飾って。

舞台では、力強い声のふくよかなおばさん。かけ声とリズムで会場を湧きあげるおじさん。失われたナワトル語で唄いあげる。

実は、テノチティトランの途絶えた文化を研究し継承しようとしているグループが、メキシコにいくつもあって。
その日は各地から一同に集まり、唄い、一緒に太鼓を叩き、踊るというイベントだった。

これは次のイベント、11月のフライヤー

ゴムまりのようなおばさん、子連れ家族、ヒッピー風の若者。みんな手をかかげ、足を踏み鳴らし、太鼓を叩き、舞台の唄声に歓声をあげる。

オーストラリアから来たサーファー風のお兄ちゃん。彼が舞台に立ったとたん歓声、ソウルフルな唄声、アンコール、花がいくつも投げ入れられた。
まだスペイン語を話せないという彼。知らない土地から来た文化の違う人に対しても、迎え入れ声援を送るメキシコ人。
外からたくさんのものを受け入れてきた度量なのかな。胸が温かくなる。

すぐに声が枯れてしまうのではないかと思うぐらい、腹の底からの歌声。 マイクは要らないと思った。

刻々と夕闇が迫り、広場の後ろに日が沈んでいく。月と星が現れ始める。

最後は広場のみんなで輪となり、踊った。
幻想的な光景だった。

メキシコの歴史に、初めて触れさせてもらった一日となった。
旅で訪れる国ひとつひとつに、大事にされている歴史がある。
けっして懐古主義的にではなく、自分たちの文化、ルーツ、アイデンティティの確認、そしてより良い未来へ繋げるために。
アステカ帝国を観察して来たスペイン修道士が残した言葉。
『歴史意識をもつ民族は、それをもたない民族よりも、その社会の将来にたいし、より大きな関心を持つ』

そして、次の目的地はミチョアカン州、プレペチャ族の土地。メキシコシティで出会った友人ルバの故郷。
「プレペチャは、切れ者宰相トラカエルが唯一勝てなかった王国なんだ」とトラカエルが話してくれた。

ミチョアカン州の町には、プレペチャの民族衣装を着た人たちがちらほら見かけられる。

くるくるクロニクル。
ストーリーがどんどん繋がっていく。logo sho-01

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