アンコとマンジュウの皮|メキシコで文化と文明について考える
メキシコに一度は訪れてみたかった。
色鮮やかな工芸、サボテンとトウモロコシの文化、フリーダ・カーロ、美味しい食べ物。
「なんでメキシコに来ようと思ったの?」
誰かにお世話になる度に尋ねられる質問。そんなとき、少し答えに詰まる。
いろいろ理由はあるけど、しっくりくる答えは見つからない。
メキシコで出会った友だちは、自分のことや自分の国のことを話すのが大好きな人たちばかり。
みんな、自分とメキシコが大好き。
いろんな話をした。工芸、食、政治、将来のこと、などなど。
話していくうち、“文化”って何だろう、という魔のスパイラルにはまる。
「この土地の名物だよ!」と出されたのがカスタードプリンだったり。
「ここの街並みは、歴史的な保存地区だからとても綺麗なんだ!」と連れて行ってくれたら、ばりばりのコロニアルスタイルだったり。
それってメキシコの文化なの?スペインの文明じゃなくて?
博物館でみた多くの壁画には、スペイン統治の苦しみやルーツ回帰が訴えられていたけど…
スペイン侵略の歴史は、どんな風に消化されているのだろう。
文化と文明は違う、と思う。
司馬遼太郎氏が文化と文明の違いについて、アメリカ素描で言及している。抜粋すると、『文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。…。そういう文化の蓄積とその共有が、自然とクニの形をとったのが、地上のほとんどの国の場合である。日本の場合、そのアンコという文化の上に、マンジュウの皮のように文明という法秩序がある』
それでいうならメキシコは、文化の蓄積が途切れてしまっているってこと?
スペイン侵略によって、テスココ湖の水は堰き止められ、美しいテノチティトランは埋められ、その真上に現在のメキシコシティが建設される。
マヤ寺院の上にカトリック教会を、劇場の上に国立劇場を、王宮の上に王宮が建てられた。
アステカの都市はいまも人々の足の下で眠っている。上に人が住んでいるから発掘は出来ない。
文化の上から、違う文化で塗りつぶしたんだ。
パツクアロで知り合った地元アーティストのルピタ。一晩お世話になった時、彼女がヨーロッパ旅行をした時の話を聞いていた。
「メキシコに残っている一番古い建造物は、スペイン侵略後のコロニアルスタイルと呼ばれるものばかり。だから五百年前の建物はあっても、ヨーロッパのように千年、二千年前の建物はないのよ、悲しいことに」
と、最後につけ加えた。
16世紀なんて、まだ日本が戦国時代の頃だ。
そんな昔に、ルーツとなるべき言葉や宗教が人種が、混血していったんだな、と想像してみる。それがすでに、歴史、衣食住、政治に練りこまれ、マンジュウの皮と剥がすことが出来ないのならば、それはアンコの一部なのかもしれない。
むしろマンジュウではなく、文化という大粒チョコチップが、文明というクッキー生地で焼き固められているようなイメージ。
スペインから独立した後も、現在までメキシコの暗い歴史は続いている。独立後も土地改革が上手くいかず、教会や富裕層、多国籍企業の手に渡り、農民や労働層は生活が苦しく、フランスやアメリカに国土を脅かされ、貧富の差は開くばかり。
そのことについて、怒ったり、恨んでると言う人はいなかった。
スペイン統治の歴史、積もり積もる政治への不満を直接表には出さないが、
ただ悲しんでいる、ように感じた。
メキシコの道端では、多くの人が幸せだといい、笑っている。
風土のせいかな。根っからのほがらかさ、陽気で型破り。
明るく前を向いている。何も考えてないことも多いけど(笑)
この後、先住民インディオの血や風習が色濃く残っているオアハカ州、チアパス州へ。
メキシコの、また違うストーリーが聞けると期待して。